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神戸地方裁判所 昭和47年(レ)11号 判決

控訴人 菱田靖子

右訴訟代理人弁護士 奥村孝

同 小松三郎

同 石丸鉄太郎

被控訴人 永田舟

右訴訟代理人弁護士 中尾英夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(控訴の趣旨)

1  原判決を取消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。

(控訴の趣旨に対する答弁)

主文同旨

第二、当事者の主張

一、被控訴人主張の請求原因

1  被控訴人は、昭和三一年九月、菱田信彦からその所有の別紙目録記載の建物(以下、本件建物という。)を代金三〇万円で買受けた。

2  しかるに、控訴人は、本件建物について神戸地方法務局昭和三七年四月一九日受付第六六〇九号所有権移転登記を自己のため経由した。

3  仮に右売買による被控訴人の本件建物の所有権取得が認められないとしても、被控訴人は昭和三一年九月末頃無過失に本件建物の占有を始め、昭和四一年九月末まで一〇年間右占有を続け、本件建物の所有権を時効取得した。被控訴人は本訴において右時効を援用する。

4  よって、被控訴人は控訴人に対し、所有権にもとづき本件建物の所有権移転登記手続を求める。

二、請求原因に対する認否

請求原因1の事実のうち菱田信彦が、かつて本件建物を所有していたことは認める、その余の事実は否認する。請求原因第二項は認める。請求原因第三項は争う。

三、控訴人主張の抗弁

1  (贈与)

控訴人は、昭和三七年三月二七日、菱田信彦から本件建物の贈与を受けた。

2  (時効の中断)

控訴人は本件建物について神戸地方法務局昭和三七年四月一九日受付第六六〇九号所有権移転登記を自己のために経由し、右登記により被控訴人の本件建物の所有権の取得時効は中断されている。

四、抗弁に対する認否

抗弁1の事実は否認する。抗弁2の控訴人が自己のため登記を経由した事実は認めるが、右登記経由は中断事由にあたらない。

五、被控訴人主張の再抗弁

1  仮に控訴人が右贈与を受けたとしても、その贈与は左の理由により無効ないしは取消されたものである。

(一) 無効原因

(1) 公序良俗違反

菱田信彦は、昭和二六年一二月頃から同三一年九月頃まで被控訴人と内縁関係にあり、その間、右信彦は、被控訴人の営む飲食店収入により本件建物を高柳とよから買受け、これを更に、被控訴人が、右信彦から買取ったものであるところ、同人は、右建物の保存登記が未了であると偽り被控訴人を欺罔してその移転登記を不当に引延ばし、その後、右信彦の妻となった控訴人に右建物を無償で譲渡したこと、および右信彦は他にも家屋を所有しておりながら、特に本件建物を選んで右贈与に及んだこと等の各事情を考えると、右信彦の贈与行為は横領類似の極めて強度の違法行為であり、従って本件贈与契約は公序良俗に反し無効である。

(2) 通謀虚偽表示

菱田信彦から控訴人への本件建物の贈与は、右信彦と控訴人が通謀のうえ、右信彦の被控訴人への所有権移転登記義務を免れ、被控訴人の所有権を覆滅するため控訴人に贈与したように仮装したものであって無効である。

(二) 取消原因

仮に、右贈与契約が無効でないにしても、被控訴人は、民法四二三条により、右信彦の夫婦間の契約取消権を代位行使し、右贈与契約を取消す。

即ち、本件贈与契約は、夫婦である右信彦と控訴人間に締結され、現に右両者は婚姻中であるから、右信彦は同契約を取消すことができる。しかるところ、被控訴人は同人に対し本件建物の所有権移転登記手続請求権ならびに右建物二重譲渡による損害賠償請求権を有するので、これにもとづき同人に代位して控訴人に対し、原審第五回口頭弁論期日において右贈与契約を取消す旨の意思表示をした。

なお、一般に、夫婦間の契約取消権は代位行使に親しまないとしても、特に本件においては、右信彦が被控訴人に対する登記義務者であること及び同人の前記背信行為からみて、その意思を保護尊重する特段の必要はないから、被控訴人の右取消権の代位行使は許されるといわねばならない。

2  控訴人は、左のとおり、被控訴人の登記の欠缺を主張できる第三者ではない。

(一) (夫婦間の取引)

本件贈与は、夫婦間になされたもので公示方法を信頼してなされる通常の取引とは類型を異にするから、民法一七七条の登記原因にあたらず、従って控訴人は同条の第三者に該当しない。

(二) (背信的悪意者)

控訴人は、婚姻中の夫である菱田信彦から、本件建物の贈与を受けたものであるところ、被控訴人の所有権を失わせる目的をもって、夫信彦が、すでに、被控訴人に売渡していたので信彦から所有権を主張することを避けて、かつて右信彦の内妻であった被控訴人が居住していること、右贈与が二重譲渡であることを熟知してながら、あえてこれを譲り受け、その登記名義を取得したものであるから、背信的悪意者である。

(三) (権利乱用)

控訴人は、右の経緯により本件建物の登記名義を取得ししかも右登記名義を取得したのは、右建物を所有する目的でなく土地区画整理事業に伴う移転補償を受けるのが目的であり、かつ、その登記手続も自らは全く関与せず、一切を右信彦に任せていた。かかる控訴人が、自己に登記名義があるとして、被控訴人の登記欠缺を主張すること自体、権利乱用である。

六、再抗弁に対する認否

再抗弁のうち、控訴人と菱田信彦が夫婦であること、本件建物はもと高柳とよの所有でこれを右信彦が買受けたものであることを認めるが、その余の事実は全て否認する。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、売買について

請求原因1の事実のうち菱田信彦が、かつて本件建物を所有していたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、請求原因1のその余の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

二、登記、その原因たる贈与について

1  請求原因2の事実は当事者間に争いがない。

2  抗弁1の事実は、≪証拠省略≫により認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三、贈与の効力について

1  (公序良俗違反の主張)

本件贈与契約が、被控訴人主張のような経緯、事情により締結されたとしても、それは右契約締結の動機にすぎないから、右契約が公序良俗違反として無効になるには、右動機が両者間に表示されて右契約が締結されたことが必要である。しかし、本件全証拠によるも菱田信彦と控訴人間で右契約に際して右動機が表示された事実は認められない。被控訴人の右主張は理由がない。

2  (通謀虚偽表示の主張)

≪証拠省略≫によれば、本件贈与に際して菱田信彦は控訴人に対して本件物件について何らの説明もせず、控訴人も信彦に対して何ら説明を求めず、被控訴人が本件建物を使用していることを知りながらその後被控訴人に対して何らの請求もしていない事実は認められるが、被控訴人主張のような通謀をした事実は認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。被控訴人の右主張は理由がない。

3  (夫婦間の契約取消権の代位行使の主張)

被控訴人は、特に本件において右代位行使が許される旨主張するが、夫婦間の契約取消権は債務者たる信彦の一身専属権であって、本件においても夫婦以外の者の契約取消権の代位行使は許されないと解するので、被控訴人の右主張は理由がない。

四、対抗力について

1  (夫婦間の取引)

(一)  控訴人と信彦が夫婦であることは当事者間に争いがない。

(二)  被控訴人は、本件贈与が夫婦間になされたものであるから通常の取引とは異り、民法一七七条の登記原因となりえない旨主張するが、同条は意思表示による不動産物権変動のすべてをその登記原因とするもので、夫婦間の贈与であることの一事をもって同条の適用がないとはいえない。被控訴人の右主張は理由がない。

2  (背信的悪意の第三者、権利乱用の主張)

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  被控訴人は、名古屋市内で屋台店を経営していたが、昭和二六年頃、客として来ていた菱田信彦と知り合い、特殊な関係を結ぶようになり、同年末頃、奨来の結婚を約して神戸市に転居し、同市兵庫区福原町で同棲し、飲食店を営むようになった。そして、主として被控訴人の経営する飲食店の収入を蓄えて、右信彦は、同市兵庫区福原町、同区東出町等に建物を購入し、被控訴人は、そのうち東出町にある建物を右信彦から譲り受けて所有していた。

(二)  昭和三一年春ごろから、被控訴人は、肺結核のため飲食店の経営ができなくなり、同年夏ごろになって信彦に控訴人との縁談があり、被控訴人もまた数年入院療養することになったので、信彦と被控訴人とは話合のうえ別れることになり、同年九月頃、信彦は被控訴人の入院費用一〇〇万円を負担することを約し、被控訴人は東出町の建物の所有権を信彦に譲渡し、かつ、退院後の住居とするため三〇万円を支払って本件建物を信彦から買受け、その頃、右建物の引渡を受けた。

その頃、被控訴人は、信彦に、本件建物の所有権移転登記手続を求めたが、信彦は、地主の印鑑がないと移転登記はできないと引延し、移転登記をしないまま被控訴人は同年一〇月ごろから、大阪、京都等の病院に入院して肺結核の療養に努めた。その間、本件建物を他に賃貸し、その賃料は信彦が徴収して被控訴人に渡していたが、信彦は約定の入院費用を負担しなかった。被控訴人は入院費用が続かないため、昭和三三年一〇月頃退院して本件建物に居住し、引続いて現在までこれに居住している。

(三)  信彦は、昭和三三年一月頃、控訴人と結婚し爾来同居し、経済的にも一体となって共通の利害関係をもって生活をしていたが、昭和三七年頃、信彦は、かつて、被控訴人に種々経済的に援助し、入院に際しても金員を貸与したのにこれを返済しないとして、本件建物の登記名義を被控訴人に移転していないのに乗じ、これを取り返えし、自己および控訴人の利益を図り登記を妻である控訴人名義にすることにより登記上自己の立場を有利にしようと考え、他にも数件の不動産を所有しているにもかかわらず、殊更に本件建物を控訴人に理由も告げずに贈与し、自ら控訴人のため所有権移転登記手続をした。しかし、その後においても本件建物の保全管理もせず被控訴人から家賃等の取立もせず、明渡を求めることもしなかった。

(四)  控訴人は、右贈与当時、被控訴人が退院後自己の物品を取りに来たり、電話をかけて来たことがあり、また贈与の直後右建物を見に行ったこともあって、かつて、夫である信彦と被控訴人との間に特殊の関係のあったことを察していたし、すでに信彦と被控訴人との特殊な関係は解消されていたことそれにもかかわらず本件建物に被控訴人が居住し信彦には家賃等を支払っていないことも知っていた。

控訴人は、本件建物の贈与を受けた後もその所有権の帰属および登記名義等については殆んど関心を払わず、被控訴人から家賃等の取立もせず管理処分もせず、登記名義の移転および維持管理等一切を信彦にまかせていた。また、本件建物の占有および所有関係、信彦が贈与するに到った動機等についても信彦に説明を求めることもしなかった。

ほかに右認定を覆すに足る証拠はない。以上認定したように、控訴人と信彦は夫婦であって、経済的にも一体となって共通の利害を有する関係にあること、信彦はかつて特殊の関係にあった被控訴人に対し充分な経済的利益を与えないのみか、却って同人から登記手続を求められながらこれを故意に引延し、移転登記を回避し自己および控訴人の利益を図ることを目的として控訴人に贈与しその登記名義としたもので、その行為は著しい違法性を有していること、控訴人においても信彦と被控訴人との関係を知っていたのであり、信彦に事情を尋ねる等して通常の注意を払うならば、以上の事情を容易に知り得たし、かつ、本件建物の所有権を取得すればこれに居住する被控訴人との間に本件建物に関する紛争の生ずることを知り得たのに、あえて本件建物の所有権を無償で取得し、その後の所有権移転登記および維持管理の一切を信彦に委ね信彦に依存することによって同人と共通の利益を得たものということができる。

右のような事情のもとでは、控訴人が被控訴人の登記の欠缺を主張することは著しく信義則に反し権利の乱用となるものであって、右のような主張をすることは許されないというべきである。

被控訴人の右再抗弁は理由がある。

五、取得時効について

なお、時効取得の請求原因について判断する。

1  (占有)

≪証拠省略≫によれば、被控訴人は、昭和三一年九月本件建物を菱田信彦から三〇万円で買受け、その頃引渡を受けてその占有を始め、被控訴人の入院中は他人に賃貸して代理占有し、昭和三三年一〇月に退院後は自ら居住占有して昭和四一年九月末まで一〇年間占有を継続し、現在に至っている事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はなく、前記売買成立の経緯に照らせば、被控訴人が本件建物の占有を始めるにつき過失がなかったことが推認できる。

2  (登記による時効中断)

控訴人は昭和三七年四月一九日自己のため所有権移転登記を経由したので、右登記により被控訴人の取得時効は中断されていると主張するが、登記は法定の時効中断事由のいずれにも該当せず、それと同視することもできないから、右主張は採用できない。

3  以上によれば、仮に被控訴人の売買による所有権取得を控訴人に対抗できないとしても、被控訴人は昭和三一年九月から昭和四一年九月末までの一〇年間本件建物を所有の意思をもって平穏公然かつ善意無過失に占有することにより本件建物の所有権を時効取得しこれを控訴人に主張しうるというべきである。

六、所有権移転登記請求について

被控訴人は本件建物につき、その所有権にもとづき、直接控訴人に対し所有権移転登記手続を請求できると解されるので、この点についての被控訴人の主張は正当である。

七、むすび

以上のとおり、被控訴人の控訴人に対する本訴請求は理由があり、これを認容した原判決は相当であって、本件控訴は理由がなく棄却を免れない。

よって民事訴訟法三八四条、九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下郡山信夫 裁判官 河合治夫 牧弘二)

〈以下省略〉

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